kenkino’s diary

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日本史サイエンス

去年・今年は状況が状況なので、外にあまり出ないようにということで、自宅にいるなら積ん読状態の本を読む機会が増えているのだが、その中にこういう本があったので読んでいた。

内容

内容としては「これまで日本史の主要な出来事を科学的に見ていこう」という内容で、作者は造船に携わっていた元エンジニアで「アルキメデスの大戦」の技術考証も担当した方が、その視点で日本史を見ていってどのような見方ができるのかというのが主なところで、本書では蒙古襲来(文永の役)・秀吉の大返し・戦艦大和についてそれぞれ考証を行っている

注:これから先かなりのネタバレになるので、ネタバレ知らずに読みたいという方のみ読んでみてください。

蒙古襲来

まず始めは蒙古襲来の考証から、最近だと漫画の「アンゴルモア」やゲームの「ゴースト・オブ・ツシマ」の題材となっている蒙古襲来だが、蒙古襲来は「日本側は不利だったが神風のお陰で命拾いした」という話が大抵の人が持っているイメージかと思われる。

この本では蒙古襲来については文永の役を主に対象として検証を行なっている。 まず歴史書の記録から「本来なら6月の予定だった日本侵攻が高麗王の死去により10月に延期されたこと」から始まり、当時の造船技術や当時の船を建造するのに必要となる森の面積等を考察して「当時日本侵攻の拠点となった高麗にあったリソースではフビライが提示した期間で要求した数の船を作るには材料や職人が足りなかったのでは?」という分析が行われ、当時建造されたであろう船をCGで再現して積み込んだ物資や乗員数を見積もり、実際に侵攻した蒙古軍の規模を推定、そして当時の記録から日本側の規模を推定・比較を行っている。

更に当時の船と対馬海峡の波の周期から「当時の船の性能からモンゴル軍は船酔いで消耗していた可能性」も含めて「文永の役ではモンゴル軍と幕府軍の兵力差はそれほどなかったのではないか?」と考察している。

そして博多湾の地形や船の停泊に必要な面積そして人馬や物質を揃えるのに必要な土地面積等を考慮して「モンゴル軍の上陸地点は歴史書の記述と違うのでは?」推定したあと、その地点で陸揚げに必要な時間を考察して「当時侵攻してきたモンゴル軍が全て上陸は出来なかった」「幕府軍は一騎打ちが基本と思われていたが意外に騎馬集団で突撃をしていた」ことや双方の装備や諸々を考慮して「文永の役ではモンゴル軍は幕府軍に負けており」加えて「モンゴル軍は幕府軍に負けて船に乗って撤退したがその途上で、この時期の対馬海峡特有の荒波で壊滅した」と結論を下している。

ここまで書くと「えっ?」という方もいるかもしれないが、実は文永の役についてはウォーシミュレーションゲームデザイナーから作家となった佐藤大輔氏が当時の記録や推定される双方の兵力を推定して「モンゴル軍の兵力が少なく、騎馬軍団も能力が発揮できる地形が少ないために幕府軍に負けて撤退したのでは?」という考察を出していたりで、近年ちらほらと出てきている説だったりする。

佐藤大輔氏の考察についてはこちらに記述がある。

この本で目新しいのはそれらを下敷きに船の性能や船団を止めるのに必要な面積や、上陸後に必要な面積等の詳細な考察を元にそれらを導きだしていることで、本のタイトル通りの分析が行われているのではと思う。

秀吉の大返し

次は、これまた有名な秀吉の大返しの検証、去年の大河ドラマがちょうど明智光秀が主人公で、いままでなら壮大な合戦シーンがお決まりだった山崎の合戦がナレーションで済まされてその後のエピソードに続くという、「歴史の大事件をナレーションや伝令の報告で済ませてしまう」という最近の戦国時代モノの大河の流行りとでもいう流れだったが、合戦と共に有名なのが「本能寺の変を知った後、信じられない速さで戻ってきた秀吉軍」ということで、これに対しての検証。

まず秀吉が陣を張っていた高松城から、山崎の合戦現場までの距離と本能寺の変を知ってから移動するまでの時間と、当時の街道から考えられる進軍ルートと移動に必要な物資を検証している。

進軍ルートについての検討については、ルートについては大体資料が出そろっておりあまり目新しい点はないといったところ、ただ一箇所難所があり、そこを陸路で通過するのは時間と体力を消耗するのではという考察から人間のエネルギー消費と必要な物資についての検証が始まる。

進軍時の消費エネルギーの考察では、高松城から合戦場までの距離を基にした進軍速度より人間のエネルギー消費の係数と掛け合わせて秀吉軍の疲労度を検証したところ、仮に歴史書の記述通りに進軍すると、秀吉側はその難所で大幅に体力を消耗して合戦場に予定通り到着すると疲労で戦える状態ではなくなっているという結果となるが、秀吉は山崎の合戦に勝利しておりどのような方法を取ってこの問題を解決したのであろうかという考察が始まる。

その解決策として造船関係のエンジニアらしい考察が「陸路ではなく、船を使ってショートカットしたのでは?」というものである、ただし秀吉側全て軍勢の移動は不可能で、当時の船の性能から考えると秀吉とその周囲の武将、つまり司令部のみが船で移動しその他は陸路で後から追いつく予定だったのではなかったのかと推定している、その証拠に山崎の合戦での秀吉側の軍勢の大半が合戦場周辺の大名の軍勢で、つまり秀吉は総大将ではあったが実態は周辺大名の連合軍で戦っており、本隊は後詰めとして加わる体制だったと考察している。さらに大返しで必要になる物資の検証では、どれだけ秀吉が当時の物資運用の巧者でも本能寺の変を知った時点から用意できる量ではないと結論づけている、これらの

・秀吉側の軍勢をこの期間で動かすための物資の量は、本能寺の変から山崎の合戦の間に用意できる量ではない

・秀吉を中心とした司令部を船で移動させるといっても、すぐにそれらの船が用意できるのか?

・合戦場周辺の大名の連合軍といっても、本能寺の変から山崎の合戦までに合戦場周辺を治めている大名の取りまとめるのが早すぎる

という考察から「これらの行動は、事前にその様な想定を考えて用意をしていないと実行できないものである」と結論付けており「本能寺の変の黒幕ではなさそうだが、京都で何かが起こりそうなことは察知して予め何か用意していたのではないか?」と考察している。

本能寺の変については、色々と説が出ていて様々な陰謀論とかも数多く出ているが、この本のように人間の疲労度や必要となる物資ようなあまり目だ立たない部分について考察や検証を行った話はあまり聞いたことがなく(まぁ、自分が知らないだけでやってる方々がいるのだろうが)そういう点に注目して検証を行って考察を行なっているところは興味深い点だと思う。

戦艦大和

最後は戦艦大和についての検証、こちらは筆者が造船系のエンジニアであり「アルキメデスの大戦」の技術考証も行なっていたためかこれまでの検証とは少し変わって、大和が建造されるまでの経緯や使われていた技術そして建造後の問題点について検証されている。

まず建造される経緯については、キッカケは日本海海戦の勝利で「日本海軍は『強力な戦艦を保有することが、戦争の勝敗を決する』という経験を基に強力な戦艦作りに邁進するようになりその究極が大和であった」というまぁ知ってる人なら知ってる経緯のおさらいから始まり、続いて大和に盛り込まれていた技術の検証や当時の日本の艦船建造時の問題、そして大和を作ったのは時代遅れの考えだったのかという考察に進んでいく。

結論としては「現在の視点では間違いではあったが当時の視点では致し方ない部分があった」「しかし作ってしまったのなら、もっと有効活用する方法があったのではないか?」と結論付けてエピソード的に大和建造の際に培われて戦後に生かされた技術の紹介がされている。

全体として

日本人に馴染みの深い3つの歴史的な出来事に対して、サイエンス的な視点で検証・考察を進めていくという内容については、確かに題名通りになされており、本の目的としては達成できているのではないかと思う、そしてあとがきに書かれている著者の懸念についても同意である。

作者の懸念というのは「日本では歴史的な出来事や成功事例に対して、精神論的な教訓やスローガンのみが取り上げられ、その裏にある物量の移動やそれにまつわる現実の問題解決に行われる部分のサイエンス的な考証や検証が蔑ろになっているため、同じ失敗を繰り返しているのでは?」という懸念である。

個人的にサイエンスの視点が足りないというのは、日本ではとある成果が上げた技術なり出来事があっても、それを汎化して全体のレベルアップに貢献せず「○○さんの職人業」レベルで止まってしまう例が多い様に感じる点で同意である。

いくつか例を著者の専門領域である造船で上げていくと明治の頃に「伊吹」(最近漫画や映画で話題になっている名前だが)という巡洋戦艦(戦艦より装甲を薄くしてその分速度や小回りを効かせて戦艦以外と有利に海戦ができるようにした艦種)がある、この船は建造開始から半年で進水したのだが、それだけのスピード建造にも関わらず工員達の残業・休日出勤なしで建造されている、しかしその際のノウハウがどうなったかについて全く残っている気配がない。

もう1つ造船ネタであるとすると太平洋戦争では戦時標準船という船が作られているが、建造に時間が掛かりすぎて消耗を補うことができなくなり、次第に粗製乱造となっていくのだが、第一次大戦の際日本の造船所でマトモな貨物船が1ヶ月で建造されたという記録があり、戦時標準船建造においてその際の経験や研究がなされていたという話を過分にして聞かない。

それに対して、アメリカは結構その辺りはきっちりやってる部分があり、例えば太平洋戦争で初期のアメリカの戦闘機が日本のゼロ戦に敵わないという現状に対して「ゼロ戦に単独で当たらない」「ゼロ戦に遭遇したら、編隊は横一直線に並び、ゼロ戦がどれか一機の後ろに着いたら、隣の機に向かって旋回してゼロ戦を隣の機の正面におびき寄せて撃墜する」という戦法を取ることによってゼロ戦に何とか対抗したのみならず、この戦法「優勢な敵と遭遇した時の対抗方法」として維持してベトナム戦争で米軍のプロペラ機がベトナム軍のジェット戦闘機をこの戦法で撃墜していたりする。

日本では職人技で終わるのに対し、アメリカではシステムとして組み込まれるその違いは何だろうかというのは色々要因が絡み合って決定的なものを見つけるのは難しいとは思うが、この本はそれに対して一つの見通しを示しているという点で読んでみて損はないと思う。

こういう本が増えて多く読まれるようになるなら、少しサイエンス的な分析が盛んになっていくのかなぁという気がする。しかしサイエンスという言葉だけで何やら難しいことと思ってしまいそうな方々でも読める本なので読んでみてほしい。